【コラム】他罰の権化、自分が正しい病、自分が正しい症候群について

コラム
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自分が正しい病に罹患している人は、全員傲慢である。

突き詰めていくと、彼ら彼女らが持つ異常なまでの自信は心の奥底にある、拭いされない劣等感に行き着く。

無意識に「脆弱な自分がいることを、決して他者に悟られてはいけない」と考えているため、完全無欠のように振る舞おうとする。

しかし完全無欠の人間なんて存在しないし、やはりその振る舞いがとても不自然なのだ。

自分が正しい病に罹患している人は、痛いところをつかれると烈火のごとく怒り出す。劣等感をつつかれることに、耐えられないのだろう。

そして自分が正しい病に罹患している人は、総じて他罰的で他責的。内省と言う言葉とは無縁な生き方をしている。

上手くいかないことがあっても、その原因のほとんどは他者によるもので、自分を改めようとする発想すらない。

他者の話に対する第一声が

「というかね」

「というよりもね」

「でもね」

「だけどね」

と決まって否定から入る。

例え否定する内容ではないときでも、ひとまず否定をかましてマウントをとることが習慣化しているのだ。

「己がこの世の中で最も正しく、自分以外の他者はしばしば間違っており、それを自分が正してやらなければならない!」といった謎の義務感、使命感すら持っている節がある。

「実るほど頭の下がる稲穂かな」という言葉がある。年齢を重ねてもどんどん成長を続けられる人ほど自分が正しい病に罹患していない。

他者を尊重しており、今の自分に足りていないものを得ようとする、学びのスタンスを持っているのだ。

やたらと上から目線と言う人、尊大に振る舞う人、大きく見せようとする人の大半は、自分が正しい病に罹患している。

個人的主観になってしまい恐縮だが、自分が正しい病に罹患している人は女性よりも男性が多く、若い人よりも年配者に多い。

余談になるが、高齢になってから新たな人間関係を築くのに女性が長けており、男性は苦手である原因のひとつは、自分が正しい病に罹患している人の割合が男性の方が多いからに思えてならない。

彼らは徹頭徹尾「お前らが俺に合わせろ」のスタンスなのだ。

それは「男は弱みを見せるな」といった、旧態依然とした日本の文化と関係しているのかも?

そもそも正しさなんて人の数だけ存在する。それを理解せずして己を盲信している時点でその人はすでに客観性を失っているのだ

自分が正しい病の人とのコミュニケーションは成り立ちづらく、一緒にいるだけでストレスが溜まってしまう。

だから謙虚で柔軟な人は、自分が正しい病の人に反論せず、ただそっと距離を置くのだろう。

自分が正しい病に罹患していない人はアドラーが述べた「他人は変えられない」という真理を理解しているからだ。

【▼己の言葉がブーメランになる怖さについて書いた記事】

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