本日記すのは、今から20年以上前の話である。
かつての僕は、雰囲気がとてつもなく悪い集団の中に身を置いていたことがあった。
その集団の中に加わった、初めの場面を鮮明に覚えている。
受付にいたスタッフが舌打ちをして出迎えるのだ。「僕にだけの反応なのか?」と疑ったが、そのスタッフは誰が来ようと舌打ちをして出迎えるのである。
のっけからこんな始まり方だったのは今でも印象深い。
その集団は、とにかく仲間内での飲み会を好んだ。
決して楽しい飲み会ではなく、基本的にそこで話される内容というのは、いない人の悪口、失敗した人の悪口などが大半を占めていた。
飲み会に不参加だった場合、自分のことを肴にされるという恐怖や不安があり、それが理由で嫌々参加していた人も多かっただろう。
飲み会だと、参加していないメンバーの悪口が話題になりがち。同級生の飲み会だと病気自慢になりがち。後輩がいると自慢話になりがちかな_| ̄|○
気をつけます。
ぷりちゃんやいびーたん。#musicshower— ぷりちゃん グリペン推し(ながみね) (@dikiya) February 12, 2021
集団の中で、いじられキャラという人たちが定期的に現れては消えていくのだが、これには、はっきりとした理由がある。
そこの組織の長は、人をいじることが大好き。ターゲットを見つけると、相手の精神がズタズタになるまでイジり続けてしまう。
もうお分かりであろう?
一見すると、いじっているように見えるのだが、実はいじりではなく、ただのイジメだったのだ。
「いじり」って信頼関係の上で成り立つから、いやだって思った瞬間それはいじめ。
— towa (@Die_Towa) February 12, 2021
いじられ続けた人は、やがて辛くなり、その集団からいなくなっていくことが繰り返された。
RABラジオ
テレフォン人生相談
加藤諦三さんの一言
病んだ集団は、だれか一人を犠牲にして、その集団を維持して行きます。#teljin#テレフォン人生相談#telejin— どさんこいくさん (@dosankowaido05) September 4, 2017
加藤諦三さんが看破したように、明らかに病んでいる組織だったのだ。
僕もたくさんの人を傷つけてしまった実感が今でもある。
誰かが成果を出すと、当人のいないところで、たちまち悪口大会が始まった。僕は「ここは他者の成功に対する祝福を、一切口にしてはいけない場所なんだ」と認識していた。
その集団のトップは、なぜか一致団結をとても嫌っていた。
それよりもお互いが仲違いする方向に、なぜか誘っているように見えた。「誰それがお前の悪口を言っていた」などと、わざわざ間に入って伝えて、人間関係を揉めさすことに終始していた。
今振り返ると、この集団に属する人達にはある共通点があった。
誰もパートナーがいないのである。既婚者は誰一人としていなかったし、恋人もおらず、それは組織のトップも同様であった。
今となっては、恥ずべきことでしかないが、社会的に孤立していた当時の僕は、その場所に居場所を求め「安住の地を求めた」と錯覚し、己をあざむいていたのだ。
お互いを大切にしていないし、仲が良いわけでもないのに、妙に距離感が近い。癒着を含んでいる不健全な関係が、そこかしこで築かれていた。
気がつけば、そのいびつな集団に僕はフィットしていた。
久しぶりに顔を合わせた人から、「前と雰囲気が変わっているけどどうしたの?大丈夫!?」と心配されることがよくあった。
客観的に見て、かなりおかしいな変わり方をしていたのであろう。
詳細は伏せるが、その集団に嫌気がさす出来事があり、数年後、僕は別の集団に移った。
そこへ入ったことで、色々な気づきをいただいた。
新しく入らせてもらったところは、笑顔が多く見られとても雰囲気が良い。一言で表現するなら、ウエルカム感がすごかった。
その集団のトップはフェアネスそのもの。ネガティブなことは極力言わない、感情の制御に長けた人格者だった。
誰かが成果を上げると、自然に「おめでとう!」という声が出て、たちまち祝福モードになった。「集まる人が変われば、こうも色々と変わるのか!?」とショックを受けた。
前にいた集団の人たちのような、かなりネガティブな人でくることも稀にあった。ここからが興味深い。 そういった人たちは、居づらさを感じてしまい、いつのまにか居なくなっていく。
ポジティブな人間が集まることによって、意図せぬ自浄作用が働いていたのだ。
自浄作用がない組織はいずれ潰れる。
— Padda (@padda201907) February 17, 2021
その集団のトップは愛妻家で、家庭に重きを置き、情緒的にとても安定していた。例え年下であっても自身が接する人間に対して敬意を示し、愛情にあふれていた。
そこに来ていた人達の多くは、パートナーに恵まれており、例外なく家庭を大事にしていた。
感化されやすい僕は、その集団へ移った途端、パートナーができるようになり、一気に人生の充実度が上がった。
今振り返ると、ある結論に達することができる。
最初にいた集団は極めて依存的な癒着関係ばかりで完全に病んでいた。運気の悪い人ばかりが、集まっていたような印象を受ける。
その後に運良く移れた集団は、組織や集団自体が成熟していた。つまり自立的な集団だったのだ。
みんな適度な距離感を保っており、誰かが困っていると自然に助けることができていた。べったりとした癒着が、そこには存在していなかったのだ。
幸運の連鎖を感じた経験も少なからずあった。
風の時代🍃
依存的支配的だった時代は終わり
精神的自立の時代になるね😌🌸嫌だと言っても恐らくこの流れになるだろう。
— 鳥井麻衣子⭐心のパワーを引き出すお手伝い🌈✨💗 (@maiko_torii_) December 16, 2020
その集団、その組織を束ねるトップの方針、そこに集まる人たちに対する接し方で、かなりのことが決まっていたのだろう。
噂によると、僕が最初に所属していた集団のトップは、悪口を言い続け人と揉め続けた結果、孤立してしまい天涯孤独で寂しい日々を送っているそうである。
当時は、かなりお世話になっていたので、かわいそうな気もするが、そうなるしかなかったのだろう。
情け容赦のない時間の采配が働いたのだ。
妬みや恨み、引きずりおろしたいという思いを抱えている人がたくさん集まれば集まるほど、その集団はどんどん病んでいく。
ある集団が健全で建設的かを判断するのに、仲間が成果や結果を出したとき、すぐに祝福できるムードになるかは重要な要素だと思う。
【▼フレネミーが組織から、いなくなると起こるポジティブなこと▼】

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