コラム|威張るおじさんに若者が表向きだけ柔和な表情を見せる理由

コラム
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2015年7月24日のNewsPicksの『楠木教授のキャリア相談』の中で、「なぜおじさんは若い女性相手だと話をきちんと聞かずに、一方的な自慢話をするのですか?」という投稿があった。

これに対して、楠木教授はこう返答している。

威張る。これはもう男性に埋め込まれた本能的な宿痾(しゅくあ)です。その筋の研究によれば、これは種の保存とか、序列をはっきりさせて集団生活の秩序を維持するといった目的で、男性に組み込まれている動物的な本能(マウンティング?)だそうです。

転載元:NewsPicks 『楠木教授のキャリア相談』オジさんは、なぜ威張る?2015年7月24日の記事

統計をとったわけではないが、以前よりも威張る男性が、随分減ってきたように感じる。

風の時代に切り替わったからか、価値観の変化を肌で感じ、変わらざるを得なかった人達も多いのかもしれない。

しかし時代の流れに対応することができず、一定数、相も変わらずマウントを取り続ける人もいる。

僕はこういう男性たちを「主導権握りたい病」と名付け、そのフォルダに中へそっと入れ続けている。

こういう男性と接する時の対応は、既に決まっている。「どうぞ、どうぞ」と率先して主導権を譲ってもらうのだ。主導権を握れない不安で、いきり立っていた人が、イニシアティブをとった途端、とても安心し穏やかになる様子を何度も目にしてきた。

「 主導権を何が何でも握り、マウントを取らない何も始まらない」「人を押しのけ、人に不愉快な思いをさせても、マウントを取る必要がある」というのは古い世代の価値観であり、彼らも洗脳されてきたのだろうし、当時の環境に適応した結果の名残かもしれない。

最近、同世代や自分よりも若い世代と接していて、あることを感じる。

「俺が俺が!」の人を押しのけるタイプが、化石と見なされており、ダサくて付き合う価値がない対象であると判断されていることが多いのだ。

こういったことは会話の中ですら触れられない。わざわざ話題にあげる必要がないという感じで、彼らのいないところでは、存在すらも無視されているというのが実情である。

すでに暗黙の了解が成り立っているのだ。

そしてもっとマウントおじさんなど、この世に存在していないかのごとく、もっと前向きかつ建設的な話に時間を割くことを選ぶ。

もちろん若い世代の彼ら彼女たちは、社会性を持っているし、マウントを取る年長者の性質を理解し知り尽くしている。

マウントを取る年長者が威張り出した途端、彼ら彼女たちはにこやかに接して上手にかわしている。

ある程度、会話泥棒されることは、想定内なので、そこまで立腹しないかもしれない。

内心は結構したたかで、心を許す必要性がなく、本音を伝えなくても良い相手であるということが揺るぎないほど決まっている。

なので相手を無下に否定することもなく、必然的に表面的で相手に合わせる形のコミュニケーションとなる。

人が複数集まっているとき、一部の威張る年長者が空気の破壊をまるで気にせず、一方的な話を続けている間、クレバーな若者たちはきっとこう考えている。

「みっともない」
「あんな風になりたくない」
「かといってわざわざ面と向かって否定する必要性もない」
「ただ反面教師として役立てば良い」と。

前記したとおり、威張りやマウントは、男性の遺伝子に組み込まれた宿痾だろう。

我々の祖先が、競争に晒されながら遺伝子を残してきたことは間違いない。

だからといって、自身の陰極である威張りやマウントの制御が不可能であると決めてかかるのは早計だ。全ては心がけ次第である。

もちろん上の世代でも、「実るほど頭が下がる稲穂かな」の人はたくさんいる。


こういう人ほど謙虚で険がなく、若者の話にもしっかり耳を傾け「年齢に関係なく新たな気づきがほしい」という向上心を持っているものだ。

繰り返しになるが、全ては心がけ次第なのだ。

「最近の若い世代は」と言い出し、矛先を下に向けた途端、実年齢に限らず老いは加速していく。

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