おかもとまりさんが「自分を誹謗中傷していた女性と直接会って話した」と言う記事を読み、
今回”誹謗中傷をした”2人の方とと
実際に会い、感じた共通点・人(私)と比較する
・余裕がない
・自信がない本質的な問題は、
そのようなストレスが起こし得ていると思いました😌ストレスが故に、書いたら、負けです。人としても😌
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— 岡本麻里/おかもとまり (@okamotomari1989) November 18, 2020
ふと、あることを思い出した。
今回はヘイター(批判者)だった僕の知人の話。
僕はずっと特定の有名人に対して異常なまでに執着し叩き続ける人の心理がわからなかった。
数年前ある男性と知り合ったことで、「なるほど、そういうことか!」と後日、理解できるようになった。
彼と初めて会ったときまで、時を戻そう。
彼に対する最初の印象。それは感情的になりやすい面があるものの、率直で嘘をつかなさそうと言うものだった。
しかしかなり短気なのは確かで、前から歩いてきた人が誤って彼にぶつかると、間髪入れず怒鳴りつけるような場面も…。
ストレス過多状態がずっと長く続いているような人だったのは、恐らく間違いないだろう。
他の印象でいえば何かと不安を抱えており、なぜか個人情報が漏れていくことに対して、異常なまでの恐れを示していた。
何度か会うようになると、彼は槙原紀之さんに対する罵詈雑言を口にするようになった。「あんなに悪いやつはいないし、絶対許せない」というのが彼の主張。
最初のほうは僕も「まぁそこまで言わなくても、いいじゃないですか」と笑顔で接していた。だが少しでも反論しようものなら、彼は烈火のごとく怒り狂って止まらなくなる。
面倒なので槙原さんの話が出たら、僕は聞き役に回り、彼にガス抜きをしてもらうことにした。
2020年の冬、槙原紀之さんが2度目の逮捕というニュースがテレビから流れてきた。
この少し後のタイミングでちょうど彼と話す機会があった。瞬く間に彼の興奮はピークに。
「あの馬鹿がまた逮捕された!」
「あいつは学習能力がないから、きっと3度目の逮捕もあるはず」
「もう一度、正義の裁きを受けるべきだ」
唾がかからんばかりに、上記の言葉をまくしたてた。
僕は「なぜ他人事なのに、ここまで興奮できるんだろう?」と、すごく不思議に思った。
新型コロナウィルスのこともあり、彼とはやがて疎遠になった。
その後、中野敦子さんの著書で『人は、なぜ他人を許せないのか』の冒頭を読んでいて、
“見方を変えると、誰かを許さないことで自己を肯定したい、自分の正しさを認めてもらいたい、という欲求の裏返しのようにも見えます。”
ー中野信子『人は、なぜ他人を許せないのか?』 pic.twitter.com/Cdn0PEw3BR— 柴田英里 (@erishibata) March 3, 2020
「あっ!」と声が出た。
人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。
こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。(『人はなぜ他人を許せないのか』の「はじめに」より)
上記の箇所を読み納得した。
そうだ!
彼は典型的な正義中毒者だったのだ。
覚醒剤中毒になると脳内物質による快楽が忘れられなくなり、理性では簡単にコントロールできなくなるらしい。
彼は覚せい剤こそやっていなかったが、正義という名の麻薬の中毒者だったのだ。
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