コラム|風の時代と失言癖|森喜朗は地の時代(旧価値観)から脱却失敗?

コラム
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2020年12月に、地の時代から風の時代に移行し、2021年2月2日の節分、そして2月3日の立春からますますその流れが加速していくといわれている。

コロナ以前から地の時代から風の時代への移行はずっと言われていたのだが、2020年withコロナの時代に突入し、余計にその傾向が明白となり、時代の変化がいよいよ前倒しになってきた。

今回は、 風の時代と森喜朗という二つの軸で語っていきたい。

傲慢な人のうっかり発言、人を傷つける行動が、糾弾されるという流れが続いている。

地の時代は、優劣とヒエラルキーの価値観がとても強かった。

地の時代的な価値観の特徴として

  • 地位や名誉を手に入れたい
  • いばりたい
  • マウンティングして優越感を得たい
  • 他者を使い承認欲求を満たしたい
  • 自己顕示欲を満たしたい
  • 金銭的な豊かさを物質消費で証明したい
  • 優勝劣敗

他にもあるが上記などが挙げられる 。いずれも他者の存在を前提したものであり、これらの本質は自己愛と依存である。

一方、風の時代は横並び。

  • シェアしたい
  • 気の合う人との和気あいあい
  • 比較ではなく個人の楽しみ
  • 物質消費ではなく精神の満足
  • マニュアルにない創造性の発揮
  • 創作を楽しむ

などが主になっている。風の時代の本質は自立と相互依存である。

時代によって、価値は大きく変化する。

例えば昭和のある時期は、 電車の車内であるいは映画館の中でタバコを吸っても咎められなかった。 今から考えると非常に違和感を覚える光景であるものの、それが当たり前の時代があったのだ。

失言をして叩かれる人たちは、適応に失敗しているといえなくもない。

その象徴的な人物が森喜朗氏なのかもしれない。

彼はみんなのために尽力を続けてきた功労者で、たくさんの日本国民に貢献してきた大人物である。

プロインタビュアーの吉田豪氏が口にしてたように、きっと彼は人情家で魅力あふれる人間なのだと思う。

森元総理が致命的に持ち合わせていないものはデリカシーなのだろう。

ただし度を超えた正直者であるため、コンプライアンスなどを配慮せず、己の価値観をそのまま語ってしまう癖がある。

いつでも時代に適応できない人はいるし、自分が時代に合わせるのではなく「お前たちが自分に合わせろ!」という傲慢極まりないスタンスを持つ人は一定数いる。

風の時代になって叩かれている人たちの多くは、きっと新しい時代に適応することを心の底から拒絶しているのだろう

それが言葉や行動の端々からにじみ出て、令和にフィットして生きる人を不愉快にさせ「いやいや、もうそんな時代じゃないんですよ」という反応を集めてしまう 。

風の時代への切り替えが完全に終わるのは、あと数年後といわれている。

もうしばらく古い時代の人たちが失言をして叩かれ失脚するという流れは続いていくのではないだろうか?

【▼承認欲求の強い人が生きづらくなる風の時代についてのコラム】

コラム|承認欲求おばけが生きづらい風の時代の到来|マウント人間は風化!?
風の時代は、承認欲求おばけにとって生きづらく、マウントをとりたがる古い人達にとっては試練の日々になるかもしれないといった内容を記しているコラム。

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