2020年12月に、地の時代から風の時代に移行し、2021年2月2日の節分、そして2月3日の立春からますますその流れが加速していくといわれている。
おはーの♪
124年ぶりの節分ですって😳
話は少し変わりますが、占星術によると、250年続いた「地の時代」が、昨年12月から「風の時代」にシフトしたそうです。
なんだか表を見ると、妙に納得のいく自分…
変化を楽しみ、素敵な年にしていきましょう😆💫表を見てウキウキする方はいいねを👏🌸 pic.twitter.com/JuxhT3W8z1
— たみーの|美容・健康スペシャリスト✨ (@tamiino_beauty) February 1, 2021
コロナ以前から地の時代から風の時代への移行はずっと言われていたのだが、2020年withコロナの時代に突入し、余計にその傾向が明白となり、時代の変化がいよいよ前倒しになってきた。
今回は、 風の時代と森喜朗という二つの軸で語っていきたい。
傲慢な人のうっかり発言、人を傷つける行動が、糾弾されるという流れが続いている。
地の時代は、優劣とヒエラルキーの価値観がとても強かった。
地の時代的な価値観の特徴として
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他にもあるが上記などが挙げられる 。いずれも他者の存在を前提したものであり、これらの本質は自己愛と依存である。
一方、風の時代は横並び。
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などが主になっている。風の時代の本質は自立と相互依存である。
時代によって、価値は大きく変化する。
例えば昭和のある時期は、 電車の車内であるいは映画館の中でタバコを吸っても咎められなかった。 今から考えると非常に違和感を覚える光景であるものの、それが当たり前の時代があったのだ。
失言をして叩かれる人たちは、適応に失敗しているといえなくもない。
その象徴的な人物が森喜朗氏なのかもしれない。
今回の五輪で初めて森喜朗を知った若い世代が「いくらなんでもあの地位まで上り詰めた政治家が今どきこんな露骨な失言をするわけがない、何か老獪な意図があるのではないか」と裏読みしているのを見て「だろ!?そう思うだろ!?みんなそう思うんだよ最初は」と肩を叩いてビールをおごりたい気分です。
— CDB (@C4Dbeginner) February 4, 2021
彼はみんなのために尽力を続けてきた功労者で、たくさんの日本国民に貢献してきた大人物である。
プロインタビュアーの吉田豪氏が口にしてたように、きっと彼は人情家で魅力あふれる人間なのだと思う。
森元総理が致命的に持ち合わせていないものはデリカシーなのだろう。
森喜朗については吉田豪のインタビューが面白くて「良くも悪くも昭和の悪気ないデリカシーのないオッサン」という今の時代には絶望的にそぐわない絶滅危惧種だと思えば不思議と笑える
— 真相 (@garam_surya) February 4, 2021
・たぶん実際めっちゃいい人
・気遣いはできるけどデリカシーはゼロ
・悪意が無いぶん余計タチが悪い
これは自分もそう思うし、ここはやはり「親戚のおじさん」に戻してあげるのがご本人にとってもヘルシーだと思う
https://t.co/A5eLyuD1BQ— 神保勇揮(FINDERS/編集者) (@fishintheair) February 5, 2021
ただし度を超えた正直者であるため、コンプライアンスなどを配慮せず、己の価値観をそのまま語ってしまう癖がある。
石川県出身の森喜朗さんの失言癖はずっと治らないのだろうな、、、。失言じゃなくてもう腹の底から思っていることを話しているんだろうとも思う。北陸はまだ男尊女卑思想が根強い。
— Mika Iwai (@ChordalColors) February 3, 2021
何度も言うけど、森喜朗氏はけっして「失言」をしているわけではないのだ。常々思っているとおりのことを、正直に口にしているだけなのである。つまり、発言が失言なのではなく、あの人自体が「失人」なのだ。
— 冬樹蛉 Ray FUYUKI (@ray_fyk) February 3, 2021
いつでも時代に適応できない人はいるし、自分が時代に合わせるのではなく「お前たちが自分に合わせろ!」という傲慢極まりないスタンスを持つ人は一定数いる。
風の時代になって叩かれている人たちの多くは、きっと新しい時代に適応することを心の底から拒絶しているのだろう
それが言葉や行動の端々からにじみ出て、令和にフィットして生きる人を不愉快にさせ「いやいや、もうそんな時代じゃないんですよ」という反応を集めてしまう 。
風の時代への切り替えが完全に終わるのは、あと数年後といわれている。
もうしばらく古い時代の人たちが失言をして叩かれ失脚するという流れは続いていくのではないだろうか?
【▼承認欲求の強い人が生きづらくなる風の時代についてのコラム】

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