世界はいつも、誰かの”演技”にあふれている。
HSPは、目には見えない微細な振動にも心を揺さぶられる。街の喧騒、他人の怒気、誰かの笑顔の裏に潜む違和感。それらを、無意識に、正確に、深く感じ取ってしまう。だからこそ、演技性パーソナリティ障害を抱えた人に出会ったとき、その波に飲み込まれるのも早い。
僕自身、その渦の中にいた一人だった。今回紹介させてもらう男性Fと出会ったとき、最初は彼の魅力に惹きつけられた。
パーソナリティ障害の傾向が強い人間は、無意識に人を魅了する術を持つ。
彼はいつも話題の中心だった。笑いをとり、誰とでも気さくに話し、容姿も整っていて、服装にも気を遣っていた。その場にいる人たちは、自然と彼に注目する。だが、HSPの僕には、どこか空虚な違和感が常につきまとっていた。
彼の話の多くは、大げさだった。昨日の出来事も、未来の夢も、どこか脚本のように整っていて、表情のひとつひとつが演出されていた。
最初は「サービス精神がある人」だと思っていた。けれど、しだいに気づく。彼のすべては、他者からの関心と賞賛を得るために最適化された「演技」だったのだ。
演技性パーソナリティ障害の人々に共通して見られる特徴。それは、絶え間ない注目欲求。感情の起伏の激しさ。そして、常に誰かの関心の的でいようとする姿勢。
Fは、まさにその典型だった。家庭に父親はおらず、幼少期から「誰かにちゃんと見てもらう」という経験を持たなかった彼は、自分という存在に自然に注がれる愛を知らないまま大人になった。愛を信じられないまま、人格形成してしまったのだ。
彼はずっと大きな勘違いをしていた。
「注目されること=愛されること」と思い込み、演技を武器に生きていくことを選んでしまったのだろう。
HSPの僕にとって、それは次第に苦痛になっていった。気づけば、彼といるとき、いつも彼だけが得をしていた。彼が笑いを取り、彼の話を聞き、彼の自慢に相づちを打ち、彼の孤独を慰める。僕自身のことは、話す余地すらなかった。
僕が彼の意に反することを口にすれば、不適に笑い「いかにその意見がおかしいか?」を巧みな言葉で論破する。
Fにとって僕は利用しやすいモブキャラのひとりだったのだろう。
彼は、僕を当て馬として利用していたのかもしれない。自分がより輝いて見えるように、誰かを「控え」に置き、安心を得る。そうすることで、虚像の自分に少しでも現実味を持たせようとしていたのだろう。
演技性パーソナリティ障害の人は、誇張された自己像に注目を集めようとする。でも、その像が周囲に認められるほど、本来の自分との乖離に苦しみ、孤独を深めていく。
Fは、初手を間違っていた。
素の自分を誰かに受け入れてもらうこと。それが、人間関係の根っこになる。
けれど、彼は気づかなかった。いや、気づいていたのかもしれない。でももう戻れなかった。虚像の鎧を脱ぐことが、彼にとってはあまりにも怖すぎたのだ。
虚像は不信で形作られている。結局、彼は自分も他者も誰ひとり信じられないのだろう。
僕は、彼の孤独を知っていた。でも、それを癒す役割を、自分が背負うことはできなかった。なぜなら、僕自身がすり減ってしまっていたからだ。
最後は、静かに縁を切った。
HSPの人が、演技性パーソナリティ障害の人に惹き寄せられやすいのは、「傷ついた人の痛み」に敏感だからかもしれない。彼らの内にある空洞や、癒されなかった幼少期の痛みが、どこか自分の中の痛みと響き合ってしまう。
けれど、だからこそ、境界線を引くこともまた、大切だ。
相手の癒しを、自分の使命にしてはいけない。どれだけこちらが尽くしても、愛されているという実感を自分で受け取れない人にとって、それは「穴の空いたバケツに水を注ぐ」ようなものだから。
成人した愛着不全で、人を利用することに明け暮れている人間とは縁を切った方がいい。
彼ら彼女らは、そのようにしないと生きられない悲しい存在なのだ。
あなたが誰かに優しくありたいと思うなら、まずは自分自身を守ること。そのやさしさを、自分にも注いであげてほしい。
演技性パーソナリティ傾向の人と出会ったとき、あなたがすぐに気づくことは難しいかもしれない。
でも、もしもふと「この人といると自分が消えていくような気がする」「だんだん自分が削られていく」と感じたら、それは立ち止まる合図かもしれない。
そして静かにこう問いかけてほしい。
「この関係は、自分の心を満たしてくれているだろうか?」と。
自分の心に、もう一度、静かに耳を澄ませること。
それが、あなた自身を取り戻す第一歩になる。
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