IQだけ高くてEQが低い「心音痴」の人に、心優しいHSPはしばしば悩み疲弊する

対人トラブル研究所
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頭はいいのに人の心がわからない人の正体|IQとEQの話

世界には、「勉強ができるだけの人」による、静かな暴力が無数に存在します。

それは、怒鳴ったり殴ったりするような、わかりやすい暴力ではありません。むしろ言葉は丁寧で、論理的で、整っている。ただ、心がまるで欠けている。そんな人が、時に校長として、教授として、人の上に立ち、「正しさ」を振りかざすことがあります。けれどその正しさは、時に無数の心を傷つける刃になります。

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我が子のSOSに気づけなかった大学教授

中学時代、S君という友人がいました。S君の父親は大学教授で、社会的には「尊敬される人」でした。けれど、一度S君の家にお邪魔したときから、ずっと忘れられない違和感を抱えています。その家庭には、静かに、でも確実に心の通わない冷たい空気が流れていました。

言葉にすればするほど、それは「正論」であり「正しいこと」ばかりでした。S君が「でも」と意見を言おうものなら、父親は「それは違う」とすぐに論破してしまう。まるで教壇の上から、我が子に説教しているようでした。

S君の妹が思春期に心を壊してしまったのも、今なら理解できます。誰かが、その家の歪みに耐えられなくなってしまったのでしょう。やがて激しく荒れるようになり、警察が呼ばれる事態にまでなりました。けれど、そのとき父親が見せたのは、「うちの娘が、おかしなことをしてしまい申し訳ありません。この子は前からちょっとおかしいんです」と謝るだけの、感情のこもらない対応だったといいます。

「この人は、本当に人の心がわからないのだな」。そう感じて、悲しくなったのを覚えています。

社会的には「頭のいい人」なのかもしれません。けれどそれはIQの話です。心の知能指数、いわゆるEQは、驚くほど低い。誰よりも近くにいる我が子が出しているSOSに、気づくことができない。あるいは、気づいていても、どう対応していいのかわからない。こうした人が教育の現場にいることを想像すると、恐ろしさを感じます。

「教育虐待」という言葉との重なり

S君の家庭のような状況は、近年「教育虐待」という言葉で説明されることがあります。この言葉は2011年に日本子ども虐待防止学会で報告されたのが始まりとされ、「子どもが受忍できる限度を超えて勉強や習い事を強制すること」と定義されています。

興味深いのは、教育虐待が高学歴で社会的地位の高い親のもとで起きやすいと指摘されている点です。「子どものため」「良かれと思って」という意識が強いほど、その正しさを疑わないまま、子どもの心を追い詰めてしまう構造があるのだと考えられます。深刻なケースでは、子どもに複雑性PTSDのような長期的なトラウマを残すこともあると報告されています。

S君の父親のように、社会的には尊敬される立場にありながら、家庭の中では「正しさ」だけを一方的に押しつけてしまう人がいる。これは特別に稀なケースではなく、構造として起こりうるパターンなのだと、この言葉を知ってあらためて感じました。

偏差値でしか人を測れなかった、ある教師

似たようなことは、私自身の高校時代にも起きました。

高校3年のとき、進路指導を担当していた教師がいました。京都大学出身で、教師陣も保護者も、彼の言葉には誰も逆らいませんでした。けれど、彼の発言はいつも「点数」や「偏差値」といった指標ばかりでした。

あるとき、進路面談で友人が「心理学を学びたい」と話しました。すると、その教師はこう言ったそうです。

「心理学? 君の成績ならもっと上を目指せる。〇〇大学の理系を受けたらどうだ。文学部を受ける意味がない」

まるで、その子の「好き」や「願い」など、どうでもいいとでも言うような物言いでした。

友人は面談のあと、ぽつりとこう漏らしました。「自分が何を大切にしたいかより、偏差値でしか判断されないのって、すごく虚しい」。

友人は結局、心理学の道を諦めてしまいました。その教師の言葉がどこまで影響していたのかは、わかりません。けれど、あの教師もまた、EQの低い人だったのだろうと、今でも思っています。

そもそも「EQ」とは何なのか

「心の知能指数」を意味するEQ(Emotional Intelligence Quotient)という概念は、アメリカの心理学者ダニエル・ゴールマンが1995年の著書で一般に広めたことで知られています。ゴールマンは、自分自身の感情を認識しコントロールする力と、他者の感情を理解し関係を築く力を合わせて「情動知能(EQ)」と呼び、学業成績の指標であるIQだけでは、人生の成功や良好な人間関係を測りきれないと論じました。

S君の父親や、進路指導の教師のように、IQの高さを示す学歴や実績を持ちながら、目の前の相手の感情を読み取り、寄り添うことができない人がいます。これはまさに、IQとEQが必ずしも比例しないことを示す典型例だと言えるでしょう。

「わかっているのに、感じていない」という共感の欠如

心理学には、共感を大きく2種類に分ける考え方があります。

  • 認知的共感:相手が何を考え、何を感じているかを、理屈として理解する力
  • 情動的共感:相手の感情を、自分のことのように感じ取り、心が動く力

IQが高くEQが低いとされる人の中には、認知的共感は十分に働いている、つまり「相手が傷ついていること自体は理解できている」にもかかわらず、情動的共感が伴わないために、相手の痛みに心が動かされない、というケースがあると考えられています。

S君の父親が、娘の危機的な状況を前にしても、感情のこもらない謝罪しかできなかったのは、まさにこの「わかっているのに、感じていない」状態だったのかもしれません。頭では状況を理解していても、そこに心が伴わない。だからこそ、対応がどこまでも事務的で、冷たいものになってしまうのです。

なぜ、IQが高くてもEQが低い人が生まれるのか

繊細な感性を持つ人間を、「数値」と「論理」だけで測ろうとしてしまう。自分の価値観や正しさを疑わない人は、知らないうちに他人の尊厳を奪ってしまうことがあります。

こうした人たちに共通しているのは、悪意があるわけではないという点です。むしろ本人は「正しいことを言っている」と信じきっていることが多く、それゆえに、自分の言動が誰かを深く傷つけているという可能性に、思い至らないのです。

HSPほど、この「鈍感な支配」に深く傷つく理由

特にHSPのような、感受性の強い人は、こうした人たちの「鈍感な支配」にさらされると、一層深く傷ついてしまう傾向があります。相手に悪意がないからこそ、かえって心が混乱するのです。「この人は間違っている。でも、誰もそれを指摘しない。むしろ、正しいと言われている」という状況ほど、繊細な人にとって苦しいものはありません。

IQが高くても、EQが低ければ、人は人を傷つけてしまうことがあります。むしろ、自分が「正しい」と信じて疑わない分、たちが悪いとさえ言えるかもしれません。

こうした「鈍感な支配者」との距離の取り方については、[グレイロック法とJADEの法則]も参考にしてください。

こうした環境で育った、あるいは晒され続けた人へ

もしあなた自身が、S君の家庭のような環境で育った経験や、正しさを一方的に押しつけてくる相手に長年さらされてきた経験があるなら、その影響は決して小さなものではありません。教育虐待のように、正しさを装った支配が長期間続いた場合、複雑性PTSDに近い状態として、その影響が残ることもあると報告されています。

「相手に悪意がなかったから」「あの人なりに、良かれと思ってやっていたから」と、自分の傷ついた感情を後回しにしてしまう必要はありません。悪意の有無と、傷ついたという事実は、別のものです。

長期的な支配関係からの回復については、[自己愛から離れたあと、C-PTSD・トラウマボンドからの回復方法]も参考になるはずです。

まとめ

心のやり取りは、正しさではなく、あたたかさでできています。

家庭でも、学校でも、職場でも、優しい誰かが犠牲になって、冷たい誰かの「正しさ」を支えてしまっていることがあります。

その「悲劇の構造」に気づける人が、これを読んだあなたも含めて、少しずつ増えていってほしいと思っています。

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