こちらの記事は
・あおり運転を起こす石橋和和、宮崎文夫のような者が起こす「怒り」に興味がある人 ・病的なキレ方、怒り方をする人への対応策 ・周囲にすぐキレる人がいて、その原因を調べたい人 ・怒りのメカニズムについて知りたい人 ・自己愛人間や自己愛憤怒に興味がある人 |
上記の内容が当てはまるあなたに書いています。
自己愛タイプの人間にしばしば振り回されてきた筆者の実体験を交えながら記します。
「人はなぜキレるのか?」怒りのメカニズム
最初に「人間はなぜキレるのか?」を考えていきましょう。
人が怒りを感じるメカニズムは(1)出来事との遭遇、(2)出来事の意味づけ、(3)怒りの発生、の3段階を踏みます。
人の怒りを専門的に研究されている安藤俊介さんによると、まず出来事に遭遇し、そして解釈を行い、その次の段階で怒りが生まれるといいます。
遭遇した出来事に対して、自分が「こうであるべき」と信じていること(=コアビリーフ)を裏切っていないかを基準に意味づけをします。
重要になるのがコアビリーフという概念。「◯◯は△△であるべき」という考えですね。
ちなみに完璧主義が強い人は、強固なコアビリーフを持っているので人とぶつかったり、もめやすいのが特徴です。
コアビリーフを裏切っていると判断すると、まず「悲しい」「辛い」などの「1次感情」が発生します。それを器にためようとするのですが、器が満タンになると、「2次感情」である怒りが生まれるのです。
1次感情は液体のようなイメージ。悲しみ、やるせなさなどのネガティブな液体がどんどん器を満たしていき、飽和状態になった瞬間、怒りに変わるというわけです。
現代社会で怒りの感情を表すことは、好ましいとされていません。しかし人間ですから、ときには怒ってしまうこともあるでしょう。
今回、取り上げたいのは通常誰しもが抱くものではなくて、尋常ではない怒り方をする人についてです。
100%の憤怒は人間関係を破壊するだけでなく、怒りを表現した本人にも大きなダメージを与えます。
【参考記事▼】
あおり運転犯、石橋和歩&宮崎文夫の怒り
近年、社会問題化している『あおり運転』。
そもそも、そんなに激怒する必要ある!?
というのが一般的な感覚。
先日逮捕された常磐道あおり運転傷害事件の宮崎文夫容疑者。
この8月のクソ暑い中で長袖の上着という凄く不自然な格好。
捜査員が半袖な事を思うとここまでの厚着が本当に謎なんです。 pic.twitter.com/1aRiZcjEGB
— 吉良青劉 (@redcrab_library) August 19, 2019
あおり運転を事件にまで発展させる人たちは、怒りのコントロールができず、まるで暴走ダンプカーのようです。
怒っている人を見ると、一見弱そうに映りません。
しかし本当に余裕のある人は、どんな状況でも感情をコントロールしながら怒りを表現できるもの。
なぜ石橋被告のような怒り方をする人がいるのでしょう?
病的にキレることを繰り返していた石橋和歩&宮崎文夫
石橋被告の交際していた女性の言葉を引用しましょう。
石橋被告が運転する車に同乗していた元交際相手の女性は証人尋問で、被告が事故以前からあおり運転などによる交通トラブルを頻発させていたことを告白。昨年3月から10月の逮捕までの間に「事件化されていないものも含めれば、10回以上はトラブルがあった」と明かした。
石橋被告は、交通トラブルの常習者でした。
完全にキレることが癖になっています。
石橋被告は例え今回の一件がなくても、遅かれ早かれ大事件を起こしていた可能性が高いでしょう。
また宮崎文夫容疑者は、過去に逮捕歴がありました。
茨城県守谷市の常磐自動車道で起きたあおり運転殴打事件で、茨城県警に傷害容疑で指名手配され、18日に逮捕された宮崎文夫容疑者(43)が昨年3月、タクシーの運転手を脅して降車させなかったとする監禁容疑で京都府警に逮捕されていたことが、分かった。
2018年3月に事件を起こして逮捕し、出所してから一年と少しで別の事件を起こしている宮崎容疑者。
シャバに出してはいけない人間だというのが容易に伝わるニュースですね。
当時の逮捕容疑は、昨年3月21日夕、京都市南区のコンビニエンスストア前の駐車場に停車したタクシー車内で、兵庫県川西市の男性運転手を「降りたら死ぬぞ」などと脅迫。運転手が降車できないよう、不法に監禁したとしている。逮捕時、宮崎容疑者は「監禁したつもりはない。逮捕には納得いかない」と容疑を否認していた。
人を脅かす行為をしているにもかかわらず、「そんなつもりはなかった」と弁解する往生際の悪さと他責的思考。
あおり運転をする人間に共通しているのは、未熟さと弱さなのです。
異常な怒り方をしている人間はなりふり構わず、暴力行為も辞さないでしょう。
もし、あおり運転の加害者と遭遇したら、窓を絶対に開けてはいけませんし、何を言われたかやどんなことをされたのか克明に記録をしておくことが必要となります。
【自転車で危険な運転をする人の心理▼】
石橋和歩や宮崎文夫など粗暴犯罪者は恐怖と不安に鈍感
定期的にニュースから流れる、新たなあおり運転事件。
道で停車させ「殺すぞ」→顔面殴打の疑い 42歳男逮捕:朝日新聞デジタル
オレこゆのに遭遇したことあるけど(そん時は窓開けずに回避。もちろん普通に走ってただけ)もう、目がいってたね。
この手合いは「自分は気をつけよう」なんて思わないよ。だって狂ってんだもん。 https://t.co/JjrpaYpif0— 花輪 英司 (@mamesukemiketa) August 22, 2019
なくなってほしいのが本音ですが、現実的にいうと第二、第三の石橋和歩、宮崎文夫がまだまだ出てくると予想されます。
心理学者、臨床心理士であり、筑波大学心理学域教授を務める原田隆之氏が、興味深い文章を書かれていたので引用します。
被害者に殴りかかる加害者をかすめて何台もの車が通過している様子が映っている。東名の事件では、被害者が死亡したが、これも加害者も死亡していてもおかしくない状況であった。
これらのことからわかるのは、彼らには通常の恐怖心や危機意識が欠如しているということだ。
これは粗暴犯罪者に多い特徴であり、普通の人なら恐怖や不安を感じる状況にあっても、それらにきわめて鈍感で、心拍数が上昇したり、身がすくんだりするという生理学反応が生じない。これは粗暴犯罪者の自律神経系の異常を示唆する特徴として注目を集めている
出典:【原田 隆之】悪質すぎる「あおり運転・暴行事件」はなぜ起きたのか?加害者の心理 悲惨な事件を防ぐ「治療法」は存在する(livedoor NEWS)
通常の人間が恐怖を感じるような状況で、堂々と振る舞える人間は勇敢であると解釈が成り立つかもしれません。
しかし、そもそもその人に恐怖や危機を感じる能力が欠如していたら?
感じないものは、当人からすると存在していないのと同じ。
勇敢とは 勇気を持ってことに当たることの意。恐怖を乗り越えられる人を勇敢と表現するのですが、そもそも恐怖心を一切、感じていないのなら勇敢というよりサイコパスに近いのではないでしょうか?
異常な怒り方をする弱者たち
これまでに僕は異常なキレ方をされたことが、数回あります。それらはいずれも逆ギレでした。
対人関係において何らかの迷惑を被った被害者が迷惑を与えた加害者に怒りの感情を表しているとき、加害者が自分が怒られていることに耐えきれず、開き直り的に被害者に向かって逆に怒り出す現象
僕は修羅のように怒る人たちに困惑しながらも、そこにいたるまでの深くて重い物語があるように感じました。
どのようなとき逆ギレが可能なのか?それは相手が逆ギレに対する反撃をしてこないことが予想される時である。それは相手の立場が弱かったり、燃焼だったり、地位が下だったりする場合であり、こちらを怒らせることが明らかに相手の不利につながる場合である。
逆ギレする人たちは、無意識下で
ここでキレたら優位に立てる!
という思惑がありキレています。
彼らが激怒したり大声を上げるのは、強いからではありません。
むしろ弱い存在であることを自覚しているからです。
自己愛パーソナリティー障害はキレやすい
わたしが考えるイジメの心理は、コレかと。→『自分の期待していた「全能感を満たしてくれるような応答」を得られなかったときに自己愛憤怒を爆発』 モラハラ http://goo.gl/7FXUV RT @KYOUKO_MANIA今は子供だけではなく、大人の世界でもイジメが存在。
— 20めぐ3: Channel_27.32 (@d3g3b) November 9, 2010
歪んだ自己愛を持っている人ほど、傷つきやすく激怒する機会が増えます。
プライドの高い人間が最も避けなければならないのは、狼狽する自分の姿が衆目に晒されることであり、他人から認められたいという人一倍強い欲求が、彼らを圧倒して強い緊張を生みだし、それはやがて恐怖感となって彼らを覆うようになる。
キレやすい人は、冒頭で説明した「感情の器」がいつもヒタヒタ状態。負の感情がたっぷり入っている人は、危険な人。
何かの拍子に「ブチン!」とキレて、大暴れします。
しかしそれはあくまで、ひとつのきっかけが与えられただけ。
問題は心の器へ常にネガティブな感情を溜め込んでいるところにこそあります。
自分が重要であるという誇大な感覚、限りない成功の追求、他者からの過剰な賛美の要求、特権意識、共感の欠如、強い嫉妬心、尊大で傲慢な態度、相手を不当に利用しようとし、特別な人間だけが自分を理解してくれるなどと思い込みます。その一方で、同時に傷つきやすく非常に脆い面も持っています。
失敗や挫折、他者からの批判などを受けけて彼らの自己愛が傷つくと、プライドが失われて失敗や批判を受け止めることができず、攻撃的に他者を侮辱するなどの行為が見られることもあります。
彼らは、一見自信満々に見えますが、本当は自信がないのです。
自己愛パーソナリティー障害は、自分に自信がないけれど「こんなすごい人間はいない」という根拠のない妄想を抱いています。
健全ではない自己愛に支配されている人間は、例外なく傲慢。しばしば人を見下すという選択をとります。
自己肯定感が低く相手を尊重できない、その度合が高まるほどモラハラやDVへと発展しやすいのも確か。
石橋被告が、自己愛性パーソナリティー障害かどうかは不明。
しかし石橋和歩被告が、不健全な自己愛を持っていた可能性は、極めて高いでしょう。
【7人の自己愛の強すぎる人間と接した筆者の体験談は▼】
自己愛憤怒、自己愛的傷つき、自己愛的怒り
自己愛的傷つきはジークムント・フロイトによって1920年代に用いられた用語である。自己愛的怒りという用語はハインツ・コフートによって1972年につくられた。
「自己愛的傷つき」を定義したのはフロイト、「自己愛的怒り」という言葉を定義したのはコフート。
どちらも自己愛を語る際に、重要となる精神科医です。
「自己中心的な人間は、自分の利益や快楽を優先するので、その過程で他者を傷つける可能性が高い」。自己中心的な人間には、他者を気にし過ぎるあまり攻撃的になる自己愛者と、他者の評価が本当にまったく気にならないので自分の欲望を他人に押し付けることが出来るサイコパスの2つのタイプがある。自己愛憤怒は、前者が持つ怒り。自己愛者は、主観的評価よりも少しでも低い評価や冷遇を他者から受けた途端に怒りを爆発させ、攻撃行動へ結びつく。
石橋被告は、他者を気にしすぎるあまり攻撃的になる自己愛タイプに分類されるでしょう。
「『お前はなんてことをしたんや!』って怒ったんよ。そしたら彼は、『悪かったと思っとる』と言っとった。『向こうから絡んできたんや。思わずカッとなった』と弁明の言葉もあったち。うちら普段のあいつを知っとるけ、想像つかん部分もあるっち。近所の子供が熱出た時に車だしてくれたり、出張いうたら駅まで送ってくれたり。運転すると豹変する男もおるけど、和歩は違うち。いつも安全運転やったけ」(別の知人)
NEWSポストセブンを読むかぎり、石橋被告が常日頃から暴れまわるような人間ではなかったようです。
「同乗してた女にかっこつけようとしたんと違うか」(別の知人)
この言葉を裏付けるのが、近所のコンビニ店員の証言だ。
「1人で来ると普通なのに、女と一緒やとひどい態度なんよ。やたらイキっとお、『なんでレジそんな遅いんか!』いうて怒鳴り散らして、小銭投げつけてくるち。いつも女があおるけん。もう殴るぞと思ったこと何回もあるち」
同乗している人によって、ここまで態度が変わるとは…。
ニュースで石橋被告が取り上げられた際に彼を見て、永遠に満たされぬ根深い何かを感じました。
【参考記事|自己愛他罰型の被害によく遭う自罰者向けの記事▼】
自己愛憤怒を起こす人は心に傷がある
勉強になる。ここに書かれてあるクレーマー心理は「過敏型自己愛」の特徴とほぼ一致する。「過敏型自己愛」には「潜在的特権意識(もっと私の気持ちを配慮して)」「自己愛憤怒(配慮されないことへの怒り)」と関連する。「叱ってくれる人」の不在は大きい。 https://t.co/GzazjbCvg2
— すもも (@sumomodane) November 9, 2019
僕もこれまでに命がけで怒りを表現する人たちと、出会ってきました。
彼ら彼女らは、頻繁にトラブルを起こすため人間関係が安定しません。
いつもどこか寂しげな自己愛的傷つきを持った人には、ある共通点がありました。
学生時代にイジメられていた人が多いのです。
それは石橋被告も例外ではありません。
石橋和歩被告が過去に受けていたイジメ
フライデーに掲載されていたので、読まれた人もいるでしょう。
石橋被告は、地元福岡でイジメられていたそうです。
フライデーには、石橋被告が『キン肉マン』の肉という字を額に無理やり書かれていたり、望まないモヒカンカットにされている写真が載っていました。
フライデー写真で確認できる、こわばった顔の石橋被告を見ると、彼があれほど暴れまわったことが妙に感じるほど。
学生時代の彼はおとなしく、人気者と程遠かったようです。
健全な自己愛と病的な自己愛
精神科医である岡野憲一郎さんのブログから、画像を使わせていただきます。
恥から見た自己愛パーソナリティ障害(改訂)(7) 6.自己愛と怒りの問題(気弱な精神科医 岡野憲一郎のブログ)
自己愛そのものは悪いものではありません。それどころか、人が健やかに暮らしていく上で欠かせないもの。
多くの対人関係を破綻させ当人を悲しい末路へと突き進ませてしまう大きな原因。それは病的に肥大した自己愛です。
石橋被告も、これを持っていたに違いありません。
イジメを受けた人の全員が、肥大化した自己愛を持つようになるかというと、そんなことはないでしょう。
しかし過去に受けた心の傷がずっと癒やされないことで、『傲慢』という鎧を選ぶ人たちが、一部存在するのです。
自己愛憤怒を持つ人との接し方5つ
自己愛憤怒ってゆうのか……😑 pic.twitter.com/Zfy8KZ0Fwt
— Makochi (@makochi216) February 21, 2019
病的に肥大した自己愛を抱えている人とのコミュニケーションは、率直に「かなり難しい」といわざるをえません。
しかし一定数、そういった人たちがこの世の中には存在します。
今現在、自己愛憤怒を持つ人と接しているの人だけでなく、今後、自己愛憤怒者と接するかもしれない人に向けて「彼ら彼女らと、どう接するのが正解か?」を探っていきましょう。
自己愛憤怒を持つ人との接し方①「傾聴する」
傾聴は、カウンセリングでかなり重視される要素。自己愛憤怒を起こす人たちは、満たされていない人。すなわち、さびしくてたまらない人なのです。
彼らが怒る原因は、周囲が「自分を深く理解してくれない…」というものが多数。
圧倒的愛情、圧倒的承認を求めている彼らの心は常に飢餓状態。
何らかのストローク(相手の存在を認める言動)を求めています。
傾聴というスタンスは好意表現。言葉以外で「あなたに興味がありますよ」と伝えることでもあります。
負の感情で満たされた器を、あふれさせないためにも傾聴は効果的。
ただしやりすぎると、相手との距離が近くなりすぎて危険なことになることも。
距離感が近くなればなるほど、依存度が高くなり甘えやすくなります。そうなると、とんでもない量の怒りエネルギーをぶつけられかねません。
ですので傾聴する際には、距離感に注意しましょう。
自己愛憤怒を持つ人との接し方②「挑発に乗らない」
歪んだ自己愛を形成している人たちは、「ケンカに巻き込もう」と対象者に様々な挑発をしかけてくることがあります。
もし挑発に乗ると、怒りの感情の応酬になり、取り返しがつかないことになることも…。
刃傷沙汰へと発展することだってありえます。
接する前に
侮蔑的なこと、失礼なことを言われるかも?
と想定しておきましょう。
予期できていれば、そこまでムキにならなくて済みます。
自己愛憤怒を持つ人との接し方③「事前に相手を分析」
自己愛憤怒を起こす人は、一定のパターンがあります。
各々のトラウマが引き起こす怒りがあるはず。
もし感情を振り乱し大暴走する場に出くわしたら、その前後にどういう流れがあったのかを把握してください。そして冷静に分析。二度と同じ状況を再現しないようご注意を。
ノートなどにメモをまとめておくと、相手の情報が増えて傾向と対策がとりやすくなります。
自己愛憤怒者の精神的地雷がどこにあるのかを把握しておきましょう。
自己愛憤怒を持つ人との接し方④「自分以外の問題だと認識」
アドラーが提唱した「課題の分離」の考えです。
実は自己愛をこじらせた人が戦っている相手、それは当人の中に流れる傷つけられた屈辱の物語。
理不尽な八つ当たりをする人間は、そうせざるをえない環境で生きてきた人です。
自己愛憤怒の被害に遭遇した人たちは、彼らのストーリーが続いている先に、偶然いただけ。
自罰傾向が強い人は
自分が原因で激怒させてしまったのかな…?
と悩みがち。
しかしご安心を。
まったくもって、あなたの責任ではありません。
当人が自分で解決すべき問題を自力でどうのもできず、自己愛憤怒を起こしているに過ぎないのです。
【アドラーとそれ以外の精神科医や心理学者について解説した記事はコチラ】
自己愛憤怒を持つ人との接し方⑤「ひとりで向き合わない」
自己愛憤怒を持つ人たちが頭に血が上ると、見境がなくなります。
「命がけ」といっても過言ではないパワーは、大きなダメージを与えます。
「怒らせない対策」や被害後のケアなどは、共通認識のある集団で行うのがベスト。
理解者がいるので一人じゃない!
と思えることも重要。
何事も孤立は事態を悪化させると心得ましょう。
自己愛憤怒を起こす人との関係で疲れたら
自己愛が強すぎる人が自分の価値に傷がつく脅威を感じて逆ギレすることを自己愛憤怒 Narcissistic rage という。失礼ながらSTAP論文著者のコメント「驚きと憤り」からその単語を連想してしまった
— 香山リカ (@rkayama) April 1, 2014
僕の周囲にも自己愛憤怒を頻繁に起こす、生きづらさを抱えた人たちが何人かいました(あえて過去形で書きました)。
夜中に長文のLINEが送られてきて「あのときのLINEは、あなたの方から終わらすべきだった!」などということも。
こちらからすればとても些細なことがきっかけでした。「お前の言ったことは取り返しがつかないぞ!」と、罵詈雑言を受けたこともあります。
夕方から朝までの長時間「自分がいかに恵まれない人生だったか?」を、延々と語られたこともありました。
彼ら彼女らは「もはやそれ信念では?」とさえ感じさせる、「許せない思い」を抱えていたのです。
自己愛憤怒を持つ人たちに翻弄された末に出した結論。
それは
「自分の時間を彼ら、彼女らに費やすべきではない」
という非常にシンプルなものでした。
【関連記事|7人の自己愛者からターゲットにされた筆者の体験談▼】
自分がキャパオーバーする前に離れよう
一度きりの人生ですから、関わりたくない面倒な人と一緒にいるより、笑顔になれる人と過ごした方がいいのは当然のこと。
今、僕の周りには自己愛憤怒を起こす人はいなくなりました。
計画的に距離を置き、二度と会わないようにしたのです。
あなた自身が疲れ果てて、心が壊れてしまっては何にもなりません。
そろそろ限界かな…?
と感じたら、思い切って距離を起きましょう。
自己愛がねじれた人は、水中で溺れているようなもの。
あなたまでもが一緒に溺れる必要はないのです。
こちらの記事が、自己愛憤怒を受けて苦しんでいる人の参考になれば幸いです。
どうか明日も笑顔で過ごせる日々になりますように!
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